ジェンダーと脳
ジェンダーと脳 性別を超える脳の多様性 ダフナ・ジョエル&ルバ・ヴィハンスキ
男性と女性、性別としての違いはあれど、脳は「男脳」「女脳」が存在するのか。
という問い。
以前より「〇〇な男、△△な女」といったタイトルは良く見られており、思考回路の違いや、行動の違いなどが言及されてきた。
男性は野心をもち、競争に常に身を置く。他者に対して攻撃的な面を持つ。
対して女性は協調的であり、親切で、共感が強い生き物である。
男性は理論的であり、女性は感情的である。
たしかに当てはまる人もいるけれど、当てはまらない人もいる。
最近は理系分野で活躍する女性も増えてきている。
彼女たちを「例外」ととらえるのか、「彼女たちのように活躍できうるひとが、今まで埋没させられてきていた」ととらえるのか。
この本では「男性的」「女性的」とされる心理的特徴や、灰白質の大きさなどを比較したときに「男性的な特徴は男性に多い」ながらも、「すべてが男性的特徴をもつ人はほとんどいない」としている。
男性にも心理的に女性的といわれる面は存在し、その逆もしかり。それは、「悪いこと」としてとらえられるべきなのか。
私は今日、ある記事をみた。
性暴力を受けた女性の、裁判所でのスピーチだ。本当に説得力がある内容だったと思う。
加害者である男性はおそらく、この女性を「被支配者」であり「力を持たないもの」であると判断し、犯行に及んだんだろう。
だがスピーチ内容にもあるように、彼女には「知識」「周囲のサポート環境」「強い精神力」など、とても恵まれた「力」を持っていた。だから、このように話題にもなり、重い求刑となったのだろう。
このようなジェンダーバイアスは自分でも気づかずに持っているものである。
私自身、最近になってようやく、そのことに自覚し始め、自分が感じてきた違和感などが言語化できるようになってきた。
この本のなかで、印象に残っている部分がある。
「なぜ、トランスジェンダーであることを宣言するのか」という学生からの問いに「ではなぜあなたは、化粧をして体のラインが出るような服を着るのか」と返答した著者。
化粧をすることと、体のラインを強調することは「私の性自認は女性です」とアウトプットしていると同じだと。
それを読んではっとした。
私は、女性だと高らかに宣言できるほど「女性」ではないんだ、と。
だから私は婚活や合コン、デートなど、「異性と意識するべき人と会う」時には化粧をし、「女性らしい」服を着ていく、
しかし、普段はパンツが中心だし、体のラインは基本的に隠している。
だって、友人とのつきあいや、仕事のときに「女性」である必要はないから。
そうだったのか。私は「女性」であることは、あまり好きではなかったんだ。
だからといって、私は男性ではなく、女性。
だけど、女性に期待されるような「役割」を担うことが苦痛で、「女性」と認識されたくなかったのだ。
私は学生時代、男性の友人が多かった。だけど、その友人の何人かは私を「女性」だと認識していた。だからそこでの齟齬から起こるトラブルをいくつか経験した。
私は友人にとって「女性」であったことに、たくさんショックを受けた。
でもそれはすべて水に流した。大したことではないと思うことに決めたから。
オトナになり、結婚する人が増える中で、結婚すると女性しか担えない仕事というのがある。出産だ。
私はそれにずっと気持ちが進まなかったのは、たぶんこの延長なのだ。
妊婦であること、母であることは「女性であること」を強調することになる。
それが、ハンディと感じずに済むような世界になると、いいなぁ。