エモという感情
現在、断捨離実施中。
もちろん、実行前にはこんまりさんの本を読んで、準備万端。
ただ、、まとまった時間が取れないため、本では「だめだ」と書いてあるがエリアごと区切って実行中。
とにかく、あるものの把握と、ときめくか否かを繰り返す。
やっている最中に思ったのは、「ゴミ認定するってハードル高いな~」ということ。メルカリに出すほうがだいぶ罪悪感低い。
メルカリは別にお金になるか否かじゃなくて、「かつて大好きだったもの、価値があったものを『価値がない物』と判断することが苦」ということである。
メルカリで売れたら、それは誰かにとっては「買う価値のあるもの」だったということ。救われる~
こんまりさんは「かつてときめいたものでも、『そのときその瞬間のときめきをありがとう』と、役目を終えたものは感謝をして、処分しましょう」と仰る。
趣味に合わないプレゼントを頂いた時も、そういうことなんだそう。
そんなになかなか割り切れないぜ~~
今回のタイトルは、そのなかで見つけた、まさに過去のときめきをありがとうなもの。
当時大好きだったバンドの雑誌の切り抜きやフライヤー。
そのバンドを見続けてもう10年以上にもなる。
10年前、まだメディアに出たてで、素朴な顔立ちのメンバーたちを眺めていると、はじめは「なつかしさ」だけであったが、徐々にその時の感情を思いだし、胸が苦しくなってきた。
そう、あのバンドがデビューしたころ、私は社会人なりたてで、毎日本当にしんどい思いをしていた。
休日の楽しみがないと、先の楽しみの予定がないと、あっという間に沈んでしまいそうだった。
彼らのCDやライブは、命綱。そんな時代があった。
・・・・あー、一人思い出してエモくなっている。あのときの葛藤たち。
そして思うのは青春という言葉よろしく、それを「エモい」と思い返すときにはその感情はもう戻らないのだよ。
一生懸命に生きたい、必死になりたいと思っても、大人になるとある程度の「余裕」やら「妥協」やらが出てきてしまう。あとは正面突破ではなく「回避」という術を覚えるから。
あのときのようにがむしゃらな自分。メンタルの浮き沈みが激しくてすぐ泣いたりしていたけど、本当に主観的に、自分のことだけを考えて生きていた期間だったなぁ。
あぁ、懐かしい、エモさ。