日々の覚え書き~観劇、本、その他彩りのあるもの~

アラサー女の生きる糧。生きてるって楽しい!と思えた物事の個人的な記録。

レミゼ2021、My 楽日を終えて

奇跡的に複数枚のチケットが取れたレミゼ

観劇の帰りに、キャストのすばらしさとか、楽曲のすばらしさとかをかみしめながら帰路につくわけです。

 

レミゼは、会話とか芝居がほぼなく、すべて歌でストーリーが紡がれていくミュージカルです。

なので(?)初めて観劇したときは、本当に1幕終演の時点でぐったりしてました。

忙しいんです、プリンシパルキャストと言われる登場人物も沢山いるので、あれもこれも聞いたことある曲だし、キャストそれぞれにストーリーがあるので、感情が上がり下がりジェットコースター並み(例えば、愛の芽生えに浮かれるマリウス&コゼットと、それに打ちひしがれるエポニーヌ、とか)。

 

今回は複数回観劇できて、流れを把握できた状態で臨めたので「え!?もうこの曲!?」とか、「ファンテーヌもう死んじゃうの!?」とか、ようやく思わなくなりました(笑)

 

余裕をもって観られるようになり、そこからようやく役者同士のやりとりや関係性、細かな心情の動きなんかを観られるようになり。

 

 

ひとつ、ずーっと考えていることがあります。それは、ジャベールの自殺のシーン。

あれは、バルジャンに情けをかけられたことと、その後バルジャンを自ら逃がしたことに関する自分への絶望なんだと思っていました。

 

でも、伊礼ジャベを観たとき、砦の陥落後に松明を持って死者を確認しているシーンの時点で、明らかな精神崩壊が起こっているのが見え。

 

本当は、あそこで死んでいるのは自分のはずだった。

老いた自分が生き残り、若者たちが信念のために死んでいった。

ジャベールの信念は法と正義、秩序。

ジャベールは、とにかくは中に入りこめたわけだから革命を止めることも、彼らを死なせないことも、方法を考えればできたはず。少なくとも、「全員死亡」という「最悪の結果」は免れる方法はあったのではないか。

ただ、ジャベールはそのために命を投げ打つことはしなかった。バルジャンに「逃げろ」と言われて逃げた。逃げて生き延び、そしてまた「職務」を全うしている。

 

 

そのあたりで「仕事としてやるべきこと」と、「自我」の乖離が起きてきていたように思う。

 

大テーマが大ラスで「人を愛することは神様のおそばにいることだ~」とバルジャンが歌うわけですが、砦の若者たちは「民衆のために」、エポニーヌは「マリウスのために」、ガブローシュは「砦の人たちのために」、バルジャンは「コゼットのために」、すべて愛する人のための行動だった。

 

ジャベールは、「人のため」という概念で動いたことがおそらく無かったのに、「砦からの生き残り」を生かすために、バルジャンを逃がした。

 

死ぬことは、肉体に繋がれた鎖が断ち切られ、自由になることだ、と最後歌うのですが、やや宗教色が強いことは否めません(そもそも、司教様との出会いからすべてが始まるからそこは根幹のテーマである)。

 

ジャベは、生きている限り、職務としてバルジャン(=囚人)を捕らえる義務がある。でも、「奴は何をした?」と自問し始めて、逮捕することに疑問を持ち始めてしまった。

自分の肉体がある限り、悪事を働いた人間を逮捕する、それを神に誓った(Stars)。

 

そこから逃げ出したくなった彼は橋から落ち、命を絶つ。

ジャベは、最後、列に入れてもらえないんだよね・・・可哀そう。。。